私は鬱病かもしれません。

自分の気持ちを残していく。生きたい。

弱さを人に見せる弱さ

日々本音や嫌なことを我慢して我慢して、理想的な自分を演じている。
しかし、時にはその辛い気持ちを吐き出したいときもある。

今日、私は上司との飲み会の場で吐き出してしまった。
最初のうちはいつも通り、理想の自分を演じ、話を聞いていた。
ただ、話題が自らの悩んでいるテーマになり、
考えや意見を聞かれ、一言発言したら止まらなくなってしまった。
上司は真剣に聞いてくれ、慰めの言葉や解決策を考えてくれた。

ただ、部屋に戻って悲しくなってきた。
意見のまとまってないぐちゃぐちゃした愚痴のような話をして、自分の弱さを見せて、その上司は私を助けてくれるわけでもないのに。
弱さを見せてしまった弱い自分が嫌になって心が苦しい。

SOSを出せればどれだけ楽か

自分ではどうしようもない問題がでてきて
それに思い悩むわけだが
そんなときに正直に強がらずに辛い感情をだせれば楽になる。
と言われるが、
自分からそれができれば、こんなことにはなってないんだろう。
責任感とかプライド、理想像が邪魔してSOSが出せなくなっているし、わかっていても変われない。
私の心はSOSを出してるのに、私の体がSOSを外に出さないように邪魔している。

灰のような朝

布団に入っても寝れず、
5時くらいまでは眠りにつけてなかった記憶がある。
途中から眠れないことに加え、気持ち悪くなってきて吐きそうだった。
なんとか、数時間眠れたものの、嫌な夢を見た気がする。
起きたときは疲労が取れるどころか蓄積されてしまった。

起きても爽快感に恵まれず、死んでなくてよかったと思う程度の朝を感じながら、今にも吹き飛ばされそうな灰のようにぼーっとゆらゆらしている。

不幸を考え込み、幸せを感じず

心が落ち込むことによる最大の弊害は
幸せを感じられないことだ。
少し前なら楽しめたことも幸せと感じられなくなり、
なんとも思わなかった少しの失敗や不幸ばかりに心が蝕まれるようになる。
不幸は幸せで乗り越えていけると思うが、
その幸せを感じられなくなったら不幸だけの人生と思いこんでしまう。

無駄に過ごす休日が自分を嫌いにしていく。

社会でせっせと働いて迎える週末。
本来なら好きなことができる待ちに待った日だろう。

しかし、私にとっての休日は
休日、やることもなくスマホを触り、
YouTubeSNSをいったりきたり。
無駄に1日が終わっていく。

働くのは辛いけど、まだ生きるためのお金を稼いでいる。
でも、休みの日にやることがなく、無駄な時間を過ごしていると実感しているときは自分のことがどんどん嫌いになっていく辛い時間だ。

やることがない

やりたいことがない

というのは似てるようで全く意味が違う。

悪質な不動産訪問販売(賃貸と持ち家の意識調査)

インターホンが鳴る。
画面に映っていたのが宅配業者では無かったので無視をする。
しかし、もう一度鳴らしてきたので、何だと思いでてしまった。
用件を聞いても、借地が~とかよくわからないことを言って、とにかく対面で話したいとしつこいので出ることに。

結果としては、不動産の訪問販売というやつだった。
最初に賃貸と持ち家についての意識調査だといい、廊下では周りの迷惑になるので玄関にあがって説明したいと言う。

もちろん、興味がないし面倒なのできっぱり断っても、
「お若く見えますけど、何歳ですか?」
「ここに住まれてどれくらいですか?」
という質問をループでしてくる。
最終的には、意識調査と言っていたので、
持ち家には興味ありません。説明もしてもらいたくないです。意識調査には答えたので終わりでよろしいですよね?
と言い、なんとか終わらせた。

後々、調べると同じような手口で訪問している例があった。
そもそも、日曜日の21時前に営業してくる人なんて、常識的ではないし、まともな営業ではないことなんて容易に想像できる。
せっかくの休みの最後の最後で、唐突な訪問者のせいで気分が悪くなってしまった。