私は鬱病かもしれません。

自分の気持ちを残していく。生きたい。

夢はありますか?

私はありません。

何か1つくらい。小さなことでも。
考えればあるでしょう、と言う人もいます。

しかし私にとっては、考えないといけないようなことは夢とは言えないのです。

夢とは、自分の全てをかけて成し遂げたいものであり、
考えなくても心から即答できるものです。

小さな望みはあったとしても、それは欲望であり夢とは思っていません。
夢がない人生。それほど寂しいものはありません。
どれだけ辛いことがあっても、夢があれば頑張れたりするものです。
人間にとって、夢は生きる意味とも捉えることができます。
夢がない私にとって、自分のために生きることは困難なのです。

以上、私の夢の考え方でした。

死んでいないだけで生きてない

私は人間として生きているとは言えない。
特に目標もなく、日々同じ生活を繰り返している。
お腹が空くからご飯を食べ、寝る。
やることといったらそれくらい。
働く理由は、ただ死なないための資金を得ることだ。

動物的には生きているが、人間的には生きていない。

勇気の一歩、確かな一歩

結果が分からないから怖い。
挑戦して失敗するくらいなら現状維持でもいいじゃないかと思うことが多い。

けれど、勇気を持って一歩を踏み出し、その一歩に成果があったとき、自分自身を誉めてあげることができ自信がつく。

その繰り返しで挑戦することに臆病な自分を少しずつ変えていけるのかもしれない。

未来の私へ

明日死ぬかもしれない。
いや、今日、半日後、1時間後には死ぬかもしれない。
いつ死ぬかなんてことは誰にもわからない。
けれども、今は生きてる。
やりたいこともできる。

そんな当たり前のことを日常では感じとれないほど、
忙しく我慢しながら生きている。

生きていることへの感謝など、死を身近に感じない限り簡単には思えない。

だけど、今の私は紛れもなく過去の自分が選んで歩んできた人生の繋がりであり、未来の自分は今の自分がこれから積み重ねていく先にいる。

誰がどう思おうと、
私は私の人生を楽しんだり苦しんだりしながらも生きているんだし、過去の自分を誉めてあげたい。
未来の自分のためにも生きていきたい。
生きてるということは素晴らしいことであり、奇跡なんだ。

楽しいことをして、愛する人を幸せにして、
誰かに誉められなくてもいい、
自分の幸せを見失わないで生きてください。

日々の生活に忙殺されて苦しくなったときに見返して下さい。
未来の私へ。

人生の主役

人生の主役は間違いなく自分なんだ。
にも関わらず、本気で生きられないのはなぜなんだろう。

ゲームの中の架空の主人公のためになら、時間を使って何度倒れてもコツコツ物語を進めていくのに。
自分の人生と言ったら、思い通りにならないことの愚痴を言うだけの日々で、経験値を得るための努力などしていない。

私の人生、私はどうしたいんだろう。

逃げる勇気すらない

死ぬくらいなら逃げてしまえばいい。
生きてさえいれば何とかなる。
と人は言うし、私もそう思う。

生きてさえいれば…
楽しいこともある。やり直せる。
けど、死を選んでしまう人もいる。

今の私には分かる気がしてしまう。
こんなに苦しくて辛いのに、なぜか逃げるなんて考えにはならない。
逃げる勇気すらもないのだ。
そこまで頑張ってきた人間が、最後にようやく逃げる選択肢が出てきた時にはもう遅いのだろうか。
逃げられる人間は弱くない。賢い。